考元天皇陵、推古天皇陵(植山古墳)、天武持統天皇陵、文武天皇陵を訪問
文武天皇陵は小ぶりだが周囲と調和した景色が良い
考元天皇陵
(この記事の写真は2017年10月に撮影したものです)この日は良く晴れていてまだ寒くもない快適な気候でした。
考元天皇陵は奈良県橿原市の郊外にあり、まだ8時ごろだったので通学の中学生達が登校していました。
奈良県の天皇陵にはめずらしく不便ではない場所にあり、前方後円墳の半周を池が取り囲み、池の周りを道路が囲んでいる。
周囲を半周する池は前方後円墳の壕ではないらしい
考元天皇は第8代天皇で、以前調べたところでは第9代までは存在が確認されておらず、陵墓も不明となっている。
だが江戸時代初期に天皇陵を確定しようとする運動が起こり、現代の場所に治定された
治定されることで保護の対象になるので、真偽は不明でもとりあえずどこか治定します。
奥に入って行く
交通便利な場所にある天皇陵は荒れている場合が多く、考元天皇陵も景観や水面、森の様子などはそれほど美しくない。
だが訪問しやすいので、短時間の間でもお年寄りや歴史好きのグループと思われる人たちを見かけた。
あまり好きではない「階段を上った山上の陵墓」であり、おそらくここは本当の考元天皇陵ではない。
階段を上ると考元天皇陵
推古天皇陵(植山古墳)
正式に治定された推古天皇陵は大阪府太子町にありますが、例によって場所が不明なままだったが、後に本当の天皇陵らしいのが分かってきた。
こういうのも天皇陵や古墳では良くあり、埋葬者がだれなのか正確に分かっているのは中世以降に、文献が残っている人だけです。
植山古墳は考元天皇陵に近い、橿原市の住宅地の小さい山にあり、「春日神社」の裏山に存在します。
地図では春日神社が植山古墳なので、ここだと思って上る
実はかなり場所は分かりにくく、現在も発掘途中なので看板や標識の類がない。
スマホ地図から春日神社を植山古墳だろうと思い込んでいて、頂上に上ったら偶然細い道を見つけました。
道とは言えない道をなんとなく進んだら、そこに工事現場がありシートで覆った植山古墳が在りました。
立ち入り禁止だったので古墳は見えなかったものの、山上からは周囲の景色を見渡す事ができた。
人が歩いた跡がある「道」に入ってみる
かまわず奥に進む
柱が並んでいる
ここに説明版があった
これが植山古墳らしい
景色はとても良い
天武持統天皇陵
この日の3か所目は天武持統天皇陵で、明日香村の飛鳥駅から山の方に向かっていくとあります。
文字で書くと簡単なのだが、なかなか発見できずなんども目の前を往復しました。
他の天皇陵と違って山そのものが天皇陵になっていて、あまりにも立派すぎて何度前を通っても天皇陵とは気づかなかった。
何度か通り過ぎて軽トラに注目した
背後の山全体が天皇陵だった
ちょうど実の成った柿畑に取り囲まれていて、まっすぐの階段を上った頂上に陵墓が存在します。
山上の天皇陵は皆こうなのだが陵墓そのものは小さく、山全体が墓地になっています。
やはり山上からは周囲の景観を一望でき、晴天なので素晴らしい眺めでした。
石段を登っていくと
花が咲いていたり
柿が実っている
天武持統天皇陵
周囲を一周できるがまだ気温30度以上で断念した
上からの眺めはここも素晴らしかった
文武天皇陵
この日の4か所目は文武天皇陵で天武持統天皇陵から遠くない、飛鳥駅から車などで近い場所にあります。
というよりも有名な「高松塚古墳」の隣にあり、高松塚の方には多くの観光客が訪ねてきます。
高松塚古墳は文武天皇陵と同じ7世紀ごろと考えられ、例によってここが本当の文武天皇陵なのかは不明です。
高松塚古墳に行く道
曲がらず真っすぐ進む
明日香村平田の中尾山古墳が本当の文武天皇陵とも言われているので、そちらにもいつか訪問してみたい。
天武持統天皇陵は柿畑に囲まれていたが、文武天皇陵はミカン畑の隣にあり、正面には田園地帯が広がっている。
高松塚古墳には数百メートルで、飛鳥駅からはレンタル自転車で来れる。
高松塚古墳公園の隅にある
ぐるっと回っていると
鳥居が見えます
こんな感じ
小屋の横から入れる
前が狭いので正面から撮りにくい
天皇陵から見た田んぼ
田んぼから見た天皇陵
みかんの無人販売所、まだ時期ではないようです
飛鳥駅からはレンタサイクルで来れる
近くの棚田
この日は過ごしやすかったのでさらに山に向かった