徳川綱吉は良いこともした
江戸時代は捨て子が非常に多く、大半は拾われず放置されていた
https://edo-g.com/blog/wp-content/uploads/2015/12/kogane_no_kazoiro_l.jpgより引用
綱吉の捨て子救済政策
昭和の時代劇は勧善懲悪で「この人は良い人」「この人は悪人」とはっきり決まっていました。
実在の人物で良い人は大岡越前、遠山金四郎、徳川吉宗などで、悪人は徳川綱吉などでした。
綱吉の不評の原因は「生類憐れみの令」で、自分が戌年だったので、占い師のお告げで犬より人を大事にしたとされます。
それは事実なのだが、良い事もしており、江戸の町はノラ犬や狂犬が徒党を組んで暴れていたのを捕まえて施設に入れた。
このお陰で江戸の町はノラ犬の被害から解放されたが、そのせいなのか今度は「ノラ猫」が大繁殖した。
江戸の街には人間との人口比で、現在の10倍ものノラ猫が存在したとされていて、どれか1種類の動物を可愛がるのは良くない。
徳川綱吉の善行の本題はここからで、綱吉以前の日本では「捨て子」をどうするか定められていませんでした。
人間の捨て子もノラ猫やノラ犬と同じであり、道端に捨てられて運がよければ拾われるが、運が悪ければ地蔵になります。
綱吉の「生類哀れみの令」では人間についても定めがあり、「捨て子は捨てられた地域で成人まで扶養すべし」となっている。
また「人買い」「人売り」の禁止など、始めて人権問題を取り上げて改善を図った。
たとえば深川のXXX町で捨て子があったとすると、XXX町の住民が15歳になるまで扶養しなくてはならない。
これでは大変なので報酬を受け取らずに養子に出すのが流行したが、実際には金銭のやり取りがあって問題になった。
江戸時代は非常に捨て子が多く、ある年のひとつの奉行所だけで500人の捨て子があったとする記載が残されていた。
江戸の人口100万人のうち、相当数が捨て子だったのは間違いない。