22.5代 飯豊天皇陵をゆく 奈良県葛城市
飯豊天皇の祟り
全ての天皇陵に実際に行くコーナー第3回で4箇所目で始めての奈良県になります。
奈良県御所市周辺には古墳や天皇陵がいくつもあって、天皇陵銀座と言えます。
という事は効率よく回れば一度に何箇所も訪問できるので、今回は事前に計画を立てて行きました。
主要道路から案内などはない
いつもなら昼過ぎに適当に出かけるのだが、今回は前日に午前中の仕事をこなし、午前10時ごろ出発しました。
飯豊天皇陵から始めて2箇所か3箇所回る予定だったのだが、あるトラブルで一箇所だけになりました。
その前に大阪の中心部から奈良への交通事情を説明すると、ミナミからいつもの柏原市まで90個以上の信号があります。
地図を見ながら自力で発見するしかない
この林と堀は間違いなく天皇陵
この間約22キロなので220mごとに1基の信号があり、3基に1基は引っかかるので、1時間は掛かります。
奈良県境から信号はあまりなく、合っても車両検知式や押しボタンなので、大阪市内の2倍の平均速度で走れます。
奈良市のほうに向かう道は渋滞もあるが、葛城市や御所市に向かう道は、同じ地球とは思えないほど快適に走れます。
堀までがとても近く、美しい
お昼ごろには最初の目的地である飯豊天皇陵に着き、「さっさと写真撮って次に行こうぜ」みたいなノリで急いでいました。
飯豊天皇陵周辺道路から参拝所に入るには、車両や自転車を防止するためのチェーンが張ってあります。
そのチェーンに気づいてはいたものの、跨ぐ時に右足が引っかかり、つんのめるように派手に転倒しました。
参拝所にはチェーンが張ってある
転んだ直後に撮影、チェーンが保護色になっていて見えない
なぞの最後を遂げた天皇
頭をアスファルトにぶつけまいと右手を突いたのだが、徒歩での転倒としては人生3番目くらいの痛みが走りました。
人生最悪は小学生の時にカブトムシを捕まえようと線路に入り、近所の爺さんに追いかけられて線路に転んだ時でした。
線路ってのは鋼鉄でできているので、あの上に転ぶとアスファルトの2倍は痛いです。
植木の間に道(?)があり入れる
飯豊天皇陵のチェーンで転んだのですが、右手の骨が折れたような痛みがあり、動かなくなってしまいました。
帰るべきなのだがバイクは右手でアクセルを回さねばならず、握力がないので、しかたなく左手で写真撮影をして時間をつぶしました。
ポケットに入れていたデジカメも落としたが、カメラは無事で、意外に丈夫だなと思いました。
見た事もないほど近くに堀がある
堀を渡る橋がかかっていた
帰宅して調べたところ、飯豊天皇は飯豊青皇女という女の天皇で、5世紀ごろに22代清寧天皇と23代顕宗天皇の間に権力の座に就いた。
22代と23代の間って事は実は正式の天皇ではないという意見もあり、在位期間は10箇月ほどだった。
日本書紀には天皇ではないと書かれているが、別の文書には天皇と書かれているものも存在している。
跨げば渡れるが思いとどまった
作業小屋の裏は立ち入り禁止になっておらず、すぐ堀がある
17代履中天皇の娘であり、22代清寧天皇が崩御したが世継ぎが無く、履中天皇の息子の23代顕宗天皇が発見され皇位を継いで退いた。
飯豊天皇が崩御して(没して)弟が即位したとなっているが、手続きとしてそうしただけで、実際には生前譲位だったとも言われている。
ここら辺は天皇家の中で権力闘争があり、非常に分かり難い時代で、もしかしたら飯豊天皇の存在が邪魔になって葬ったのかも知れません。
昔は女の天皇も多かったが、子供が幼いとか夫が早くなくなったなどの事情があるケースが大半で、やはり男子の皇太子が天皇になる事が望まれていた。
隣の畑
手が痛くてバイクに乗れないので、反対側に歩いてみる
田んぼ越しに見た飯豊天皇陵
前方後円墳の円の部分が禿げていた