波宝神社で神功皇后に参拝
波宝神社
五條市西吉野町夜中の「夜中」という地名は神功皇后が三韓征伐した帰りにここに立ち寄った逸話からきている。
神功皇后が銀峯山で休んでいると空が曇り、神に祈ったところ再び空が晴れた。
日食を差しているといわれ、当時該当する日食は西暦384年、400年、403年などが考えられます。
神功皇后が銀峯山に立ち寄った理由は伝承によれば、丹生一族の支援を求めるためとされる。
丹生氏は水銀の原料となる辰砂の採取を司る神官で、当時水銀は金銀よりも価値がある日本最大の輸出品だった。
丹生氏の拠点の五條市の山奥に古い神社が多いのは、丹生氏と関係があったのでしょう。
波宝神社が西暦400年ごろから存在しているのは確実と思われます。
道路から大きな鳥居が見え、手前は広場になっている
日露戦争の碑には明治41年とあった
好物の忠魂碑、地名や没年は書いていなかった
波宝神社です
小さい祠には忠魂社と書かれていた
戦没者を慰霊する施設でしょう
天井に絵が掲げられている
神功皇后の逸話を描いているようです
左が神功皇后です
祭りの日は賑わうようだが、周囲に民家はほとんどない