ミトラのブログ 秘境と異世界

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弥生人を見に行く 大阪弥生文化博物館

最も有名な弥生人、卑弥呼さん

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弥生人とは何者か?

天皇陵を見て回る旅をやっているが、前方後円墳がつくられた時代を古墳時代と言います。

見て回るうちにその時代の人は誰なんだろうと興味がわき、古墳時代人について疑問が出てきました。

古墳時代の人はその前の弥生人だと考えられるので、天皇陵に埋葬されたのも弥生人という事になる。

 

これが弥生文化博物館(和泉市)

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意外にも券売機で支払い、大人650円

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ネットで調べたら弥生人の博物館が大阪府に在るのが分かったので、夏の暑さも終わったので出かけてみました。

弥生人とは3000年位前に大陸から渡ってきた渡来人が、最初から住んでいた縄文人と混血したと考えられている。

この人たちが弥生文化を作ったのだが、その後大陸からの渡来が途絶えて、弥生人と東北などの縄文人がさらに混血した。

 

受付のお姉さんに券を渡すとパンフレットをくれる

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最初に目に入るのが1m以上の巨大な復元銅鐸

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博物館によると縄文人の背は159センチで横幅が広い丸顔で、凹凸があり目鼻立ちがはっきりしている。

典型的な縄文人としてなぜか「長澤まさみ」「織田裕二」の2人が挙げられていた。

弥生人は身長162.8センチ、細長く平べったい顔をしているのが特徴で、縄文人とはかなり違う。

 

2階には展示品が大量にある

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触れるコーナーもある

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だが古墳時代になると弥生人より背が低くなり、弥生と縄文の中間のような顔立ちに変わった。

これは渡来人が最初は背が高く平たい顔だったのが、縄文人と混じり合って特徴が薄められたと推測されている。

これが縄文時代から弥生時代、古墳時代への変化なのだが、展示を見て気付いたのは、弥生時代は想像より窮屈な社会だという事です。

 

触ってみると意外につるつるしている

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銅鐸にも触ってみる

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農耕は集落ごとに組織化されていて、おそらく指導者や権力者が管理して、村人を働かせていました。

多くの武器や、傷を負ってなくなった骨が発見されているので、頻繁に戦争が起きていました。

弥生時代に特徴的な物として「銅鐸」がありますが、博物館によるとぶら下げて音を鳴らす道具でした。

 

トンネルを抜けると

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そこは弥生時代だった

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そのように音を出す目的は、村人や兵士に命令して、行動させるためだったと推測できます。

おそらく夜明けとともに働いて、農作業をして鐘の合図で休憩したり、作業を終えたりしたのでしょう。

貧富の差も非常に激しかったようで、最も有名な弥生人である「女王卑弥呼」は展示品では豪華な衣装を身に着けていました。

 

村人の食事

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あっと驚くこれが卑弥呼さんの食事

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卑弥呼の食事は展示品では現代の豪華ホテルの和食の見まごうほどで、想像とはいえおかしいのではないかと感じました。

それに引き換え村人は粗末な小屋に住み、復元模型では雑穀や貝などを食べていた。

縄文時代には組織的な農業や戦争はほとんど無かったので、村人への拘束も緩やかだった筈でした。

 

衣装や食事からは貧富の格差が凄い

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卑弥呼が住んでいた宮殿の想像模型

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このように当時の生活を目の当たりに見せられると、弥生時代人はあまり幸せでは無かっただろうと想像します。

 

田んぼで労働する村人たち

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村人を働かせるのに重要だったのが、おそらくこの銅鐸の音による合図

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現代のと同じような農機具

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兵士が居て軍隊もあった

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戦争の兵器

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このような小舟で半島と行き来した

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弥生土器は地面に刺して使う

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弥生服を着れる

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漢委奴国王印が欲しかったが、カードが使えなさそうだったのでやめた(2700円くらい)

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弥生土器

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休憩室にある弥生すごろく

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近くの公園に弥生時代集落を復元してある(池上曽根史跡公園)

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巨大な建物は2階に上れる

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村人はこうした建物に住んでいた

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日陰に現代の弥生人たちが集まっていた

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