第6代 考安天皇陵を訪問 奈良県御所市
人間が(梅雨時に)行ってはいけない場所
全ての天皇陵に行ってみるというどうでも良い旅の5回目(6か所目)になります。
今回は第6代考安天皇陵を7月初めに訪問したのだが、このことでしぬほど後悔する目に遭います。
7月初めは梅雨の真っ只中ですがこの日の予報は大阪府・奈良県ともに曇りでした。
まあ確かに一日中曇りだったのですが、「日本武尊白鳥陵だけに」短時間豪雨が降って土砂降りずぶ濡れになりました。
考安天皇はごく初期の天皇で、私の憶測では2世紀くらいの人物だったと思います。(正確には不明)
この年代の日本ではまだ後に見られる前方後円墳のような土木技術がなく、自然の山を陵墓にしています。
地図ではこの辺だが案内板すらない
つまり天皇陵といってもただの低い山であり、たいていは山の上か中腹に参拝所が存在します。
この参拝所は天皇陵の写真に必ず出てくるが、当時のものではなく、明治以降に追加された施設です。
追加した理由は現地に行くと良くわかり、参拝所がないと「ただの雑草が生えた低い山」に過ぎないからです。
前方後円墳は一目で分かるが、現地に行っても建物がないので、参拝所がないと何もしようがない。
考安天皇陵の参拝所は全体が古い雑木林で覆われていて、石段を登って行った上に存在します。
この石段の道は写真で見るとロマンチックなのだが、実際に梅雨時に歩くと、呼吸困難になるほど息苦しいです。
山道を進むと宮内庁の高札がある
体験したことがないほどの高湿度で、焼けたアスファルトを歩く方が遥かに楽なほどです。
参拝所の前は開けていて湿度も低いのだが、降りるときも息苦しいうえに蚊やアブがまとわりついて散々でした。
山から脱出した時には全身汗だくで、身の危険を感じるほど水分を失っていました。
確かにある意味で『人間が近づいてはいけない場所』という印象を受けました。
考安天皇陵の近く(といっても歩いては行けない)に日本武尊白鳥陵が在ったので、帰りに寄ってみました。
ここは日本武尊(ヤマトタケル)がなくなって白鳥となって天を翔け、着地した場所らしいとされている。
日本武尊は九州から東北まで武力で日本統一を成し遂げたとされていて、その後に共通の前方後円墳が全国に造られたのを見ると、そういう出来事は有ったようです。
参拝所はずっと上にある
宮内庁でこんな親切な注意書きを初めて見た
その日本武尊の陵墓に立ち寄ったのだが、当然ながらここも「ただの雑木が生えた山」で記念碑などがあるのみだった。
戦国時代とかの遺構は土木や建築技術の成果が見られるが、あまりに古い遺構だとすべて自然の地形のままです。
それでも日本武尊の墓が更地の住宅街とか、高速道路の下敷きになっていなくて良かったです。
それで肝心の考安天皇はどんな人なのかというと、日本書紀や古事記でも一応名前が書いてあるだけの、特に業績のない人だったらしい。
苔から想像すると一年中多湿
息苦しく全身から汗が噴き出す
インカのピラミッドのようなのが見える
この場所以外は立ち入り禁止
木々に覆われているが下界も見える
上る途中にあった別コースに行ってみる
小さな祠があった
苔に覆われて美しい
水中を歩いているように汗で全身がずぶ濡れ
2か所目の訪問地はヤマトタケル陵
民家の裏に入っていく
階段を上る
日本武尊白鳥陵
この直後に集中豪雨でさらにずぶ濡れになった。
この山の周囲数百mから出たら路面は乾いていた。