高取城を攻めた石田三成と守った本多俊政
本丸を攻め落とせば勝利
日本3大山城
前回は高取城の石垣の下まで登りましたが、急傾斜で上から丸見えなので、そこら辺の石を上から落とせば撃退される構造になっています。
石垣の下まで来た敵には弓矢を浴びせかけ、それでも登ってくる敵には槍を突き刺します。
万が一上までたどり着いても、道なりに進むと両側を石垣で囲まれた狭い場所を通ることになります。
両側から槍でツンツンすれば簡単に撃退されてしまい、下からは上を攻撃しにくくなっている。
戦国時代には今のように樹木や林がなく、上からは周囲が丸見えだったので、難攻不落でした。
西暦1600年には石田三成がここを攻めたが、東軍についた本多俊政の高取城を攻め落とせず撤退した。
本多俊政は関が原合戦にも参加して武功を認められ、高取藩藩主となった。
石田三成に攻められた時、高取城に何人いたか書かれていないが、推測することはできます。
本多俊政の石高は1万5千石で当時100石あたり2.5人の兵力が平均だったとされるので、750人が動員可能だった。
だが当時本多俊政は東軍に参加して上杉景勝の会津攻めに出動していたので、城を守ったのは300人から500人だったでしょう。
対する石田三成の軍勢は 4,000人少々とされていたが、領地を空にはできないので最大でも2000人程度だったでしょう。
恐らく攻撃側の石田軍は1000人から2000人、守備側の高取城は400人前後だったと思われます。
石田三成はそれまで実戦経験がなく、合戦下手とされていたのも影響し、堅牢な城を落とせませんでした。
三成の戦下手に味方も動揺し、東軍に付くものが続出し関が原で多数の寝返りを招いた。
もし初戦で高取城を落としていたら、余勢を駆って関が原でも勝てていたかも知れません。
石垣の上から敵兵が狙っています
戦国時代は登ってくる敵を見やすいように、木は切ってありました
ここらへんはマチュピチュっぽい
砦の上からは狭い通路を通ってくる敵を簡単に攻撃できる
先ほどの砦を占拠したとしても
もっと高い本丸から鉄砲や弓矢で攻撃される
石田三成は本丸を落とすことができなかった
もし高取城を落とせていたら、三成が天下人になったかも知れない
おわり