明日香村の石遺跡「マラ石」を訪問
日本には「石文明」も存在した
前回は明日香村の「日本のピラミッド都塚古墳」に行った後で祟りがある「くつな石」を訪問しました。
この辺には遺跡や古墳が多くてとても一日では回れないが、近くの「マラ石」にも寄ってみた。
明日香村は3世紀ごろから古墳などができはじめ、石による工作物も多く残されました。
古代には「石」そのものが信仰の対象で、今も曲がり角によく石が置かれています。
車がぶつかるように、あるいは自分の家にぶつからないようにという意味もあるが、信仰としての意味合いもある。
神社などでも良く、実用上は無意味な石が置かれているし、古墳時代以前には石は特別な力が宿ると考えられていた。
たぶん子孫繁栄を祈願する目的だと思われます
マラ石を横目で見るように置かれた地蔵
ストーンヘンジのように石を並べた遺跡は日本にも無数にあり、その始まりは3万年前までさかのぼれる。
古墳時代の最新技術は金属だったが、縄文時代は焼き物と石、石器時代は石と自然の道具しかなかった。
石を加工して道具を作るのは、2万年ものあいだ最高のテクノロジーで、石職人は高度な技術者でした。
石を高度に加工出来たり、重い石を移動できるのは、その集団に力があり偉大だと示すことになります。
こうしたところから石が特別な物とみなされ、神社の真ん中に据え置かれるようになったとも考えられます。
風景にマッチしていた自販機
他にも何かありそうなので山のほうに歩きます
ありふれた駐車場がある
説明によると中大兄皇子(後の天智天皇)が一時期暮らした飛鳥稲淵宮
祝戸地区に上る坂道で古い階段があった
経験上こういう階段の上には「何か」がある
階段は山の頂上まで続いている
誰かがここに持ってきた巨石
頂上まで登り右に行ってみる
また石がある、山頂に意図的に誰かが置いたと思われる
広場にまた石が置かれている
昔の人は山上で祭りをしたのだろう
別な道で山をおりる
けっこう急だし歩き難い
下界におりる
有名な石舞台の前に出ました
橋のうえから「民主党」が捨てられていました
もとのマラ石に戻りました
帰りは聖徳太子御誕生所の前を通ってかえる
おしまい