戦後焼け野原の名残り 西天下茶屋の商店街
商店街に入ると迷宮のラビリンス
西天下茶屋の空気感
大阪市西成区には”西天下茶屋”という昔の街並みが残っている場所があります。
離れた幹線沿いには”天下茶屋”という地名もあり、有名な”あいりん地区”にも近いです。
天下茶屋という地名は400数十年前に豊臣秀吉に親しい茶人の千利休の師匠の、武野紹鷗が茶室を建てたところから始まりました。
関白・豊臣秀吉が立ち寄り、千利休が茶を点て、味の良さに感激したという逸話も残されている。
もともとは由緒正しい風光明媚な場所だったのだが、1945年の大阪大空襲で焼け野原になり、茶屋も灰燼に帰した。
焼け野原だからちょうど良いというので戦災で焼け出された避難民や、引き揚げ者、朝鮮からの密航者などが住み着いた。
共産党とか9条改正反対を良く見かける
昭和の復興期に日本中に銀座商店街ができた
やがて区画整理でこの周辺は簡易宿舎や貧困者の住居が立ち並ぶようになり、今日に至っている。
バブル崩壊からリーマンショック頃まで、ホームレスが数千人以上住み着き、青いシート小屋が立ち並んでいました。
現在はホームレスは姿を消し、商業地区として再開発されるような動きも出ています。
昭和や戦後の空気を濃厚に漂わせていた西天下茶屋も、やがては近代的な、どこにでもある風景に変わるでしょう。
ともあれ現在はまだ、戦後のバラックから始まった昭和の気配を感じとる事ができる。
シャッター街もあるが
賑わっている場所もあり
昭和にタイムスリップした靴屋
雑貨屋前に立つ兄さん
地域最大のスーパー
時代を超えた喫茶店
休憩したかったが暑すぎて退却(撮影は7月下旬)
フリーマーケット、中古品を売る店らしい
たぶん八百屋
米屋の人
コインランドリー(営業中)
迷宮商店街は何ブロックにも分かれている
さっぱりしたシャッター街
これも別の米屋
お好み焼き屋の中は客の話し声が聞こえた
大阪のおばちゃんの自転車は傘が立ててある
カフェレストラン
迷宮は枝分かれして続く
たこ焼き
雑貨屋や100均の周囲は賑わっている
子供たちの姿も良く見かける
いくつもの商店街が断続的につながっている
別な出口
サラリーマンのおじさん
地蔵尊