森友学園を見に行く
森友学園騒動
この春の話題を一手にさらった森友学園騒動も、一息ついた感があるが、舞台となった場所を訪問しようと思い立った。
第一の理由はバイクの慣らし運転のためにどこかに行きたかったからで、ちょうど良い距離にある。
森友学園が経営している保育園と幼稚園は大阪市淀川区にあり、残土問題などの小学校は豊中市にある。
最初に開園した塚本幼稚園
中は見えないが子供たちの遊び声がしていた
まず順番からいうと初代の森友寛さんが1950年に塚本幼稚園を創設し、学校法人森友学園を設立した。
1979年に森友氏の娘が問題の人物、籠池泰典氏と結婚し、2代目になります。
1982年に学校法人籠池学園を設立し、住之江区に開成幼稚園を創設するが、すでに閉園されています。
塚本幼稚園近くの公園
籠池氏が森友学園を変えた
1986年に籠池氏が塚本幼稚園の園長に就任しました。
2010年に塚本幼稚園の近所に塚本保育園を創設しました。
2017年3月には「瑞穂の国記念小学校」を開校予定だったが、申請を取り下げました。
白い建物にはためく日章旗の塚本保育園
大正モダン風のおしゃれな建物
現在運営しているのは塚本の幼稚園と保育園の2つだけで、小学校は放置されているようです。
初代が最初に開園した塚本幼稚園は、典型的な住宅地の狭い路地にあったが、広い公園の隣にありました。
幼稚園自体もかなりの敷地があり、なぜか周囲を壁で囲って内部が見えない構造になっていた。
ここでも中からは子供たちの遊び声がしていた
ドサクサ用地
想像だが1950年開園というところからは、敗戦後のドサクサに紛れて、空襲で所有者がわからない土地を「アレ」したかも知れない。
昭和20年代にはそんな話がゴロゴロしていて、たとえばロッテが東京で最初に開業した土地が「アレ」だったと言われている。
公式な歴史には善意でもらったと書いてあるが、おとぎ話のようです。
保育園近くの公園
周辺は静かな住宅街
2つ目の塚本保育園は幼稚園から徒歩で行ける場所にあり、大正建築風の立派な建物で、日章旗がはためいていました。
やはり周囲は閑静な住宅街と狭い路地、そしてやはり大きな公園の近くでした。
幼稚園、保育園ともに中からは子供たちの遊び声が聞こえ、普通の幼稚園との違いは感じられなかった。
小学校は伊丹空港に近いので上空を飛行機が飛ぶ
小学校建設地
取材陣やマスコミの姿もなく、ブームが去ったらマスコミは一人も来ないのだなと感心しました。
3つめの小学校は隣の豊中市にあって場所がかなり離れている。
小学校は最初「安部晋三記念小学校」だったらしいが、安倍首相が固辞して名前を変えた。
手前は公園で小学校の敷地ではないが環境が良い
隣には別の公園が隣接している
現場に行ってみるとその周囲全体が広い公園や大学、老人ホームなどになっていて、公有地が払い下げられたのが分かる。
しかし公園とか学校とか金にならない用途ばかりで、普通の営利企業はまったく見当たらない。
払い下げげ地域の周辺は団地やマンションになっていて、住みやすそうな場所でした。
瑞穂の国記念小学校と書かれている
不釣り合いに立派な小学校
幼稚園と保育園は常識の範囲だったが、小学校の巨大さには度肝を抜かれ、この資金をどこから籠池氏が調達したのが、不思議でならなかった。
それにしても淀川区はどこに行っても一方通行と行き止まりで、住民以外は路地に入っても、どこにも行けないようになっているのには辟易した。
放棄された建設現場のようになっていた
ところどころドアが開いているが人影はない
花を見に来たのか公園には人が歩いていた